総合病院でこんなことが!vol.1<蘇生会総合病院の実態>
「自分のためでなく、他の人のために生きること、これが医師という職業の使命であります」
文豪ゲーテの家庭医も務めた名医フーフェラントの言葉です。
医師から見ると、患者は1対100かもしれませんが、患者にとって医師は自分と1対1です。
「医師」の存在が、時に自分の命さえ左右することすらあります。
病気になって気弱になれば、診断から治療、処方される薬に至るまで、「本当にこれで大丈夫なのだろうか」と、不安になるものではないでしょうか。
名医フーフェラントが言うように、医師に「患者のため」という気持ちがなければ、患者の不安は消えることはないでしょう。
特に総合病院となると、医師だけではなく、看護師や、医療器具を扱う技師など、大勢の人が患者に関わるので、病院全体として患者にどのような思いを持ち、どのように接するかが大切になります。
果たして私たちの周りにある病院は、安心して自分の命を預けられるでしょうか。
実は私は、とても不安なのです・・・・・・
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現在、私の父は認知症との診断を受けてある病院に入院していますが、その前に京都市伏見区にある「蘇生会総合病院」に入院しています。
父は今年に入ってから、簡単な計算や、日付、自分の歳などが、正確に答えられないという症状が発生しました。
さらに、深夜にお風呂に入ろうとしたり、トイレに頻繁にいくようになり、その度に起きなければならない母の疲労がピークに達してしまいました。
当初精神疾患を疑った母は、精神科の病院に父を入院させることにしたのです。
ところが入院したとたん肺炎との診断をうけ、急遽他の総合病院に移ることになり、本年(2013年)3月11日、「蘇生会総合病院」に入院することになりました。
しかし精神科からの転院ということで、個室入院で母が泊まり込みで付き添うことを余儀なくされました。
入院から4月8日の退院まで約1カ月。母は病院内で、「こんなことを病院がして、いいのか!」というような事態を、幾度も経験したといいます。
病院に苦情をいっても、言い逃ればかりして、一言の謝罪すらなかったと、怒りながら、悔しみの涙を流していました。
人命を左右するような病院で、母が涙を流すほどの実態とは、いったいどういうものなのか。
私は事が事だけに、絶対にうやむやにしてはいけないと思い、私が母と同行して、もう一度蘇生会総合病院に問題点を追及することにしました。
そこでもし病院が一切非をみとめず、知らぬ存ぜぬを決め込むなら、「ありのままの事実を、公表しよう」そう決意して、私は会話を記録するためにビデオカメラを用意し、4月19日に病院に行ってきました。
幸いその時は病院の方が真摯に対応していただき、病院側の非も認めたうえで、改めて後日回答することを約束してくれました。
そして数日後、母が病院と話し合いをもった時に、母が指摘したことは事実であったことを認め、「大変申し訳なかった」と謝罪があったようです。
本当は謝ってすむことではないものの、心身共に疲れていた母は、これ以上追求する気力もなく、「反省の意を表して、詫び状を自宅に送って下さい」といって、病院をあとにしました。
私はそのことを母から聞いて、果たして病院が「詫び状」を書くかどうか、大いに疑問でした。
内容的には、「医療ミス」となりかねないことも含んでいます。
それを病院側が、文章を持って認めるようなことは、したがらないのではないか。
「企業化」してしまった最近の病院は、「患者のため」という、人道的理念より、「社会的な批判を避けたい」という、世間的メンツを優先するでしょう。
案の定、3カ月以上たった今、ついに蘇生会総合病院から詫び状が届くことがありませんでした。
腹を立てた母は、「詫び状はどうなっているのですか?」と、病院に電話を入れました。
すると病院の返答は、
「もう謝罪は済んでいます。詫び状は書けません」
とのこと。
・・・・・
まぁ、この対応は蘇生会総合病院に限ったことではないのかも知れませんが、私は「世の中こういうものさ」と、クールに認めることが、大人であるとは思えません。
かといって病院を相手取ってどうこうする気はなく、せめて蘇生会総合病院の入院中に起こった出来事を、これからの記事で明らかにし、蘇生会総合病院の実情を知って頂きたいと思います。
※vol.2に続きます